NewZealand Workingholiday まとめ

 2年半に渡ったニュージーランドの
ワーホリに終止符を打った。
先日日本に帰国しました。
1年の予定だったワーホリは、
予想外の2年半の滞在となりました。

「どうだった?」に対しては、
「めっちゃ楽しかったよ!」
としか答えようがない。
一言では表せない、
表しきれないような濃い時間だった。
もちろん全てをまとめると、
本当に楽しかった。
心から行ってよかったと思ってる。


細かく言うと、
楽しかったことだけじゃなない。
というか苦しかったこと、壁の方が多い。
何回心身共に死にそうになったか。
それはそうだ。
自分の国で生きても壁は出てくるものだけど、
異国の地ともなれば、
更に負担は大きく感じる。
皆様、ワーホリに行く人は英語ができる人と
思ってる方がたくさんいらっしゃると思うし、
私もそう思ってた。
でも、私はペラペラでもないし、
英語の成績はひどい。
TOEICのリスニングは基本、
眠りに落ちてしまう女。
そんな英語力でも、
バカど根性というものがありまして、
行くことを決めてしまうのでした。

元々の性格もおっちょこちょいなので、
日本でも人より山あり谷ありですが、
海外となると、それが数倍になる。
旅にトラブルは付きものといいますが、
度がすぎる。
そして、全て英語で解決しなければならない。
分からないことも英語でしか聞けない。
そして、家族は日本にいるので、
何かあった時は自分で解決するしかない。
もちろん住んだ先々、行った先々で、
たくさん友達が出来て、
恩返しできないほど助けられる。
でも、私は街から街へ引っ越す時も、
ロードトリップも一人でしてたので、
基本自分でなんとかしなければいけない。
何度泣いたことか、もうダメだって思ったか、
何度日本行きのフライトチケットを
チェックしたことか。
でも、最後まで帰らなくて良かった。
私の選択は、最高の選択だと胸を張って言える。


この2年半を振り返ると、
ずっとマラソンを走ってたみたいだった。
ずっと一人で走ってた。
でも、出会った人と途中の道を一緒に走って、
一緒に笑って泣いて、素敵な景色を見て、
涙を流しながら何度も別れて、
また新しく素敵な人に出会って。
大好きな人たちがたくさん出来て、
毎回その分お別れが辛過ぎた。
でも、その人達に私はどんどん
綺麗な色に染めてもらった。
人だけじゃなくて、
絶景にもたくさん出会った。
綺麗すぎて涙を流したのは、
人生で初めてだった。
自分の足でこんな場所に
来れるんだって感動した。
ひたすら自分と向き合う時間も多かった。
今まで執着してたものは、いくつか
「もういらないや」って投げ捨ててきたし、
大切なものをたくさん集めてきた。
誰にも話せなかったことを、
ある人にだけ涙ながらに語れた日もあった。
自分の嫌いだった部分も、かさぶたも
ポロポロと剥がれていった。
自分に自信がなくて、
自分のあら捜しばっかりして、
嫌いだった自分はもう卒業した。
自分のことを少しずつ好きるようになった。
それは、紛れもなく出会った人たちのお陰。
そしてズッコケても、擦りむいても、
諦めずに起き上がったあの時の自分のお陰。
2年目が過ぎたくらい。
自分でもわかるくらいに、
メキメキとメンタルが強くなっていた。
何か起きても、悲しいことも、
辛いことも、絶対時間が経てば、
「あれがあったから今の自分がいる」って
感謝することが多くなったし、
また何か壁が表れても、
「またか…。でも絶対大丈夫になる」って
確信を持てるようになった。
とにかく困ったら電話、問い合わせ、
助けを求める。
落ち着いて、今自分はどうしたいのか会議する。
何が正しいか答えなんてないことだらけだった。
だから、「正しい」じゃなくて、
「私はどうしたいか」を考えるようになった。
そして私に降りかかった最後の選択は
「日本に帰るか、このままワークビザで
ニュージーランドに残るか」だった。
ワーホリのビザは8月で切れる。
有難い事に、
「スポンサーするからうちで働いて」
と言ってくださる方もいた。
私はニュージーランドが大好きだし、
この大好きな人たちと国を越えた場所に戻ること、
簡単に会えなくなることが辛かった。
ここに残れるチャンスも目の前にあったけど、
すごく迷った末、帰る事を選んだ。
いや、きっと最初から決まってたんだと思う。
ここにいれば、きっと幸せに暮らせる。
生きていくお金も十分に稼げて、
仕事が十分にあって、
大好きな人と場所がたくさんある。
のほほんと暮らせる。
その反面、このままここにいたら
幸せかもしれないけど、
きっと満足しない。
私はまだやりたい事がある。
まだ経験したいこと、勉強したいことがある。
このビザが切れるタイミングは、
「今が帰る時」っていう知らせだって感じた。
「将来は日本に住みたい」って思いは
昔からずっとある。
ただ、そんなことはわからない。
もちろん未来でまたニュージーランドで
生活がしたいって日が来るかもしれない。
その時は、自分が出来る全力を尽くして
そうするだろうし、
他の国に住みたいと思うかもしれない。
いつも先のことを計画するけど、
そのとおりに行くことは少ない。
良い意味で。
だから、今の自分の心に従うことにした。
日本の家族も友達もご飯も…。
全てが恋しすぎた。
そして、厳しいと言われる日本社会だけど、
それでも経験したいと思うし、
私に合うか合わないかは
自分で経験して決める。
そして、どこにいようと、
その場所を全力で楽しみたい。


最後に。

ニュージーランドで出会った方々へ
本当にたくさんお世話になりました。
いろんな年代、国籍、
バックグラウンドの方と出会って、
素敵な出会いだらけで、
大好きな人がたくさん出来ました。
最高の思い出、感動の思い出、
胸が締め付けられることも、 
辛かったことも、一緒に泣いたことも、
笑ったことも。
全てが貴方(ひとりひとり)と出来てよかった。
ニュージーランドに来なきゃ出会えなかった。
離れても仲良くしてもらえると幸いです。
そして、また世界のどこかで。


日本の家族や友達へ
1年と言って旅だったのに、
2年半も帰りを待ってくれてありがとう。
その中でも、
私がニュージーランドにいても、
時々連絡をくれたり、
差し入れを送ってくれたり、
電話や手紙でたくさん元気をくれたり、
気に掛けたりしてくだっさた方々。
本当に助けられました。
忘れないでいてくれてありがとう。
あたり前だけど日本を離れると、
疎遠になる人の方が多かった。
それでも時々、
「元気?」って送ってきてくれる友達。
頻繁に電話して話を聞いてくれる
家族、友達。
本当に有難かった。
関係性の近さとか関係なく、
私もマメな方ではないけど、
どこにいても大切な人と
繋がっていられる
有難い時代だと思いました。
本当にありがとう。
これからも宜しくお願いいたします。



ワーホリのまとめとして
この記事を書いたけど、
何記事書いても収まらない。
まとまりのない文章になりそうな
かけがえのない時間でした。
これからも、よろしくお願いします。

END

コメント

人気の投稿