普通とは?
「普通」に生きていけたら良い。
なんてセリフを何度も聞いたし、
実際、私も「普通は~」
ってよく言ってた。
でも、自分にとっての「普通」は、
誰かにとっては、
奇妙なことだったりするし、
私だって誰かの何気ない行動を奇妙に
思ったりする。
結局自分の中の普通っていうのは、
自分の周りの人とか、
近くから入ってくる情報だったりを、
頭の中でうまい具合に平均にして、
それを私たちは「普通」と定義してる。
生きる場所、環境、
関わる人たちが違ったら、
「普通」の基準は簡単に変わってしまう。
私は、高校を卒業して
大学に進学した。
それだって、高校が進学に力を入れてたし、
大学に行くことを前提に、
学校生活を進めていた。
そして、私の高校の同級生の多くが、
大学進学をしたからなのかもしれない。
当時の自分の周りの影響なのか、
大学に入学して、
就職活動をして、
会社に入って、
いずれは誰かと家庭を作って…
なんていう謎の人生のコースみたいなのが、
確立されてた。
実際世の中は、
高校を卒業して働く人もいるし、
海外に行く人もいるし、
家庭を作らずに一人で生きていくという
人生だってある。
モデルコースみたいなものは、
存在してなかったし、
それは別に「普通」ではなかった。
そんなもの存在しないのに、
人々は「普通」でいようとする。
自分の周りの狭い世間の中での
型にはまっていれば、
それなりに失敗せずに、
生きていけると信じ込んでる。
私だってその中のひとりだったと思う。
でも、実際少し環境を変えてみたり、
関わる人が変わったら、
自分の中にあった「普通」は
全然普通ではなかったし、
新しく価値観を塗り替えられるし、
「こんな生き方があるんだ」
って驚いたりもする。
私は昔からビビりだし、
怖がりだから、
周りを伺う癖もあったし、
自分だけ違うことをするのも、
なかなか怖いと思ってた。
けど、一歩踏み出して、
その中から飛び出たら、
また新しい発見だったり、
見えなかった世界が見えたりした。
未だに私は「普通」に囚われて、
立ち止まってしまう時もあるし、
先のことが心配になったりもする。
その概念自体を少しずつ
失くしていけたら、もっと自分らしく、自由に、
そして幸せに生きていけるんじゃないか
って思う。
大学生になって、
出会いの幅が増えて、
海外にも出ていくようになって、
自分の中にあった固定概念みたいなものは、
呆気なく壊されたし、
昔の私なら絶対しなかったであろうことを、
するようになった。
そしてその選択に
後悔もしてないし、やってよかったと
思うことが多い。
誰かに「普通は~でしょ」って言われても、
もう気にせずいに生きていきたいし、
誰かの「普通」に惑わされるんじゃなくて、
自分の価値観で物事を判断して、
後悔しない生き方をできたらな
って思うようになった。
END

